護蹄研究会の目的
牛蹄の健康管理と蹄病の診断・治療・予防に関する知識と技術の錬磨および啓蒙を目指します。
入会方法
年会費の納入をもって入会とし、その会員資格は1年間とします。
事務局住所と連絡先電話番号等
(公社)日本装削蹄協会内
〒105-0004
東京都港区新橋4丁目5番4号JRA新橋分館
護蹄研究会の沿革
「馬と牛の蹄を健全な状態に保って能力の一層の向上とそれらの動物の福祉の充実に役立つことを目的とする研究会を設立してはどうか」という故幡谷正明先生(宮崎大学教授)の呼びかけによって護蹄研究会は、1988年に設立された。
蹄病、装蹄、牛削蹄に関するいろいろな問題の研究を進め、シンポジウム、集談会、研修会などを開催して獣医師、装蹄師、牛削蹄師などが互いに情報を交換し、専門知識と技能の充実・発展を図ることを目指し、また広く護蹄衛生の知識の普及に努めることとし、世話人会代表は幡谷正明、世話人会の当初のメンバーは、五十嵐幸男、原茂、黒川和雄、高橋貢、可世木蔵人、竹内啓、吉田慎三、川路利和であった。
1988年4月4日、日本装蹄師会研修室(現日本装削蹄協会、当時は世田谷区)において第1回集談会を開催し、畜産・競馬関係者40余名が参加、11題の演題が発表された。
第2回集談会は1989年9月30日、埼玉県立農業大学校にて開催され、獣医師、装蹄師、牛削蹄師など参加者98名。教育講演として牛馬の蹄葉炎4題(亀谷勉、青木修、梅本弘明、川路利和)、一般講演3題、ビデオ上映。また牛削蹄における単独保定法(山上瀧雄)と枠場保定法(可世木蔵人)についてそれぞれの利点・必要性について論じた後、学校の牛を使って比較削蹄デモンストレーションが行われた。
1991年7月にはProf.A.DavidWeaver米国ミズーリ大学獣医学部教授による牛蹄病セミナーを全国4ヶ所(8日帯広、10日江別、13日東京、17日都城)において開催した。参加者合計337名、日本装蹄師会、北海道獣医師会共催であった。第3回集談会は1992年9月4日、埼玉県大宮ソニックシティーにて開催、参加者34名、講演4題であった。
第4回集談会および牛削蹄研修会は1993年11月10・11日の両日、千葉県八日市場海匝地区家畜診療所にて開催、2日目は横転式枠場と4タイプの起立保定枠場による牛削蹄の実地研修を行った。その後諸般の事情により休止状態となっていたが、平成13年に東京大学の小川先生(現東京大学名誉教授)を中心に活動が再開された。
再開第一回(通算第5回)は、東京大学ベテリナリーメディカルセンター4階セミナー室で開催され、約30名が参加して終了後はささやかな懇親会も催された。その後、参加者が多くセミナー室では手狭になったため、第6回からは同じ東大農学部構内の1号館8番教室(150名収容)に会場を移して開催した。また、第6回までは全日程を一日でこなしていたため多変慌ただしいという意見があり(朝から参加するために前泊する必要がある人達で、前夜祭なるものも催されていた)、第7回からは二日間に分けて開催することとなった。
会の運営は、再開当初は小川先生を中心に望月先生が事務局業務を担当され、10名ほどの役員がお手伝いした。発表の抄録は会の前日まで受け付け、当日の朝小川先生の教室でコピーを取り製本(といってもホッチキスで留めるだけ)して配布した。次のステップとして、役員ができるだけ運営に参加するように、1年毎に3人一組で企画を担当し全体の運営は小川先生を中心にして佐々木先生、吉谷先生と山田が担当した。
第10回から12回までは「獣医師と削蹄師の連携」というテーマで日本装蹄師会と共催で開催し、第10回は記念大会ということもあって米国からカール・バギー氏を招聘した。
7月の開催では海の日と日程が重なるため参加しづらいという意見があり、平成22年の第13回からは開催日を6月に会場を東京大学農学部から日本獣医生命科学大学に移した。しかし、この年は口蹄疫の発生のため開催を延期し、平成23年2月に開催された。さらに第14回は、日程を家畜診療等診療技術全国研究集会とリンクさせて開催した。
参加者は、削蹄師、獣医師(臨床家や公務員など)、生産者や研究者など非常に範囲が広い。顕微鏡を覗いている人と、実際に蹄を持ち上げて削っている人が一堂に会して同じ土俵で情報交換し意見を戦わせることは、大変重要で意義のあることである。また、参加者数も、再開第一回が約30名であったが、すぐに教室が手狭になったのは既述の通りで、8番教室に変わってからしばらくは80~90名の参加者であったが、第9回に初めて100名を超えた。第10回の記念大会は、カール・バギー氏を迎えたことが大きいとはいえ、大会と台風が重なり一部の演題は演者参加不能と言うことで取り下げになるような状況もかかわらず、二日間で約190名の参加があった。第11,12回も参加者は120名前後で、この会の活動が安定してきたと考えられる。また、女性の参加者も少しずつ増加し、しかも実際に削蹄に従事している方も多く、第13回では開業女性削蹄師による初めての発表があった。